媽祖      道教における航海の守護女神
松拍(長距離バス乗り場)--- ---- -----

松拍---甫田         バスで2.5時間  片道 50元

甫田---文甲波止場     バスで40分     片道 6元

文甲波止場---    船で15分  片道7元

---  入場料  25元         媽祖廟

「天妃」、「天上聖母」、「天后」とも呼ばれる。アジアの各地で広く信仰されている。唐の玄宗皇帝(685〜762)の時代に福建省の林という者の妻が優曇華(うどんげ)の花を食べて妊娠し、産んだ子が媽祖だという。人々の病気を治したり、未来を予言するといった数々の奇跡を起こしたため、死後に天妃という称号が与えられ、媽祖信仰が発生したのだという。
女神『媽祖』の由来  日本林氏宗親総会 理事長 林丕繼  ”天上の聖母”は一般的に”媽祖”と呼ばれているが、中国の歴史では実際に存在した人である。彼女は宋初に福建省の林氏の娘として生まれ、名前は林黙娘である。その家系は、唐代の< 田九牧>(一族九人の地方長官)の六番目にあたる邵州刺史林蘊の七代目の子孫であって、福建における林氏の始祖である林禄公廿三代目の子孫に当たる訳である。「林氏族譜」によれば、媽祖は宋の太祖の建隆元年(960)三月廿三日に生まれ、一ヶ月たっても泣き声を立てないので、<黙>と名づけられた。小さい時から賢くて、井戸をのぞいて神様から護符の書き方を授けられ、変化の術に通じるようになり、悪をしりぞけて世間を救った。よく神通力を示し、むしろに乗って海を渡り、雲に乗って島を巡回するので、みんなから<通玄の霊女>と称された。宋の太祖の雍煕四年(九八七)九月九日、修行を終え、ある晴れた日に天にのぼった。二十八才の時のことである。亡くなってから、彼女が紅い衣装をつけ、海上を飛んで、難民を救助している姿が見られた。霊験あらたかに護国救民を行ってきたので、郷民は廟を当てて祭るようになった。その神通力が広まるに従って、歴代の皇帝が それぞれ贈り名をおくった。宋の微宋は<順済婦人>宋の光宋は<霊恵妃>、元の世祖は<天妃>、清の康煕は<天后>、また清の道光は<天上聖母>という名前を贈った。  媽祖は人間から神様となり、海の神様として祭られている。船主は船の中に神だなを設けて祭っているが、のちには航海の保護だけでなく、水災や日でり、コレラ、盗賊、戦争や疫病などの発生にも、彼女を祈るようになった。  の信仰は、華僑の出国にしたがって世界各地へ伝わった。華僑のいるところには、媽祖を祭った廟があるといった有様である。不完全な統計によれば、現在世界には媽祖廟が千五百余か所二十六か国と地区に及んでおり、信徒二億余人となっている。台湾だけでも媽祖廟は八百余か所、信徒千五百余か所、参拝する人も多い。  媽祖が万民に信仰されているのは、彼女が中華民族の優秀な伝統文化を実現しているからであるが、国際学術会から大変重視されるようになった。現在の研究内容は、もはや一般的な民間信仰を乗り越えて、経済、政治、文化、民族、宗教など広い領域に及んでおり、まさに<世界的な媽祖文化熱>を形成している。
媽祖(まそ)は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。特に台湾省・福建省・広東省で強い信仰を集め、日本でもオトタチバナヒメ信仰と混淆しつつ広まった。親しみをこめて媽祖婆・阿媽などと呼ぶ場合もある。 [編集] 媽祖伝承 媽祖は宋代に実在した官史の娘、黙娘が神となったものであるとされている。黙娘は建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれた。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に父が海難にあい行方知れずとなる。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっている。 なお父を探しに船を出し、遭難したという伝承もある。福建省にある媽祖島(馬祖島、現在の南竿島とされる)に黙娘の遺体が打ち上げられたという伝承が残り、列島の名前の由来ともなっている。 媽祖は千里眼と順風耳の二神を脇に付き従えている。この二神はもともと悪神であったが、媽祖によって調伏され改心し、以降媽祖の随神となった。 [編集] 中国大陸における媽祖信仰 媽祖は当初、航海など海に携わる事柄に利益があるとされ、福建省、広東省など中国南部の沿岸地方で特に信仰を集めていたが、時代が下るにつれ、次第に万物に利益がある神と考えられるようになった。歴代の皇帝からも媽祖は信奉され、元世祖の代(1281年)には護國明著天妃に、清代康熙23年(1684年)には天后に封じられた。媽祖を祀った廟が「天妃宮」、「天后宮」などとも呼ばれるのはこれが由縁である。 こうして広まった媽祖信仰であるが、中華人民共和国政府は「迷信的・非科学的な活動の温床」ととらえ、厳しく規制した。特に文化大革命期にはほぼすべての廟祠が破壊され、信者も迫害されたが、改革開放の進展とともにこうした規制は次第に曖昧になり、80年代終わり頃から廟祠の復興が黙認されるようになった。 香港、マカオでは文化大革命の影響をほとんど受けなかったこともあり、一貫して民間信仰は盛んである。各地に媽祖を祀った媽閣廟、あるいは天后廟があるが、中でも香港の赤柱(スタンレイ)の天后廟、マカオの媽閣廟は有名で、観光名所ともなっている。マカオの地名の由来は、この媽閣廟(マーコッミウ)を、聞いたポルトガル人が地名と思ったことによると言われている。 [編集] 台湾における媽祖信仰 台湾には大陸から移住した中国系の開拓民が多数存在した。これらの移民は媽祖を祀って航海中の安全を祈り、無事に台湾島へ到着した事を感謝し台湾島内に媽祖の廟祠を建てた。このため台湾では媽祖が広く信奉され、もっとも台湾で親しまれている神と評される事も多い。 この媽祖信仰は日本統治時代に台湾総督府の方針によって一時規制された。なお台北最大規模だった「天后宮」は台湾総督府により撤去され、かわりに博物館(現在の台湾国立博物館)が建てられた。 光復後は再び活発な信仰を呼び、新しい廟祠も数多く建立されるようになった。なお毎年旧暦の3月23日は媽祖の誕生日とされ、台湾全土の媽祖廟で盛大な祭りが開催されている。
minnan:Ma-cho・ "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AA%BD%E7%A5%96" より作成
中国の民間信仰の女神,海上航行の安全の守護神の民間における称。その伝承は,1086年(元祐1)に,福建省ホ※注1※田県に同県ビ※注2※洲の林氏の女が郷土神として林夫人の名で祭られたことに始まるという。
出生地でも福建省甫田県のメイ洲島(日本語じゃ文字が入力できませんでした。さんずいに眉。)であるという説と、同じく甫田県の賢良港という二説がある。