中国の庵治石を求めて

2001年7月3日から7月13日まで中国へ探し物の旅に行ってきました。まず一つは庵治石によく似た石を探すことでした。湖北省武漢から車で半日ぐらい行った所にあるだろうと言う情報とお願いしたアモイの石材商社のガイドが武漢出身と言うことで情報収集がしやすいだろうと言うだけで出かけました。ガイドさんとは5日に武漢空港で落ち合うことになりました。我々二人は岡山−上海便を使って浦東空港に到着しました。さあ、ここからが大変、ガイドなしでバスに乗り市内のホテルまで行かなければなりません。二人とも満足に中国語を話せません。空港職員にメモ書きを見せたり中国語で単語を並べたりとしているうちに乗車場所まで連れて行ってくれました。バスの中では料金や降りる駅のことで戸惑っていたので乗客の注目の的になってしまいました。苦労してどうにかホテルを探しだし、中国旅行メーリングリストの仲間と初めて会いました。上海でのガイドを探すべく上海MLに情報を流していただき2、3の返答の中からガイドというより友達感覚でつきあってもらえる方に出会いました。上海で2泊して飛行機で武漢へ、航空券はMLの仲間が買ってくれていましたが、我々だけで空港に行き手続き搭乗しなければなりませんでした。武漢に着くと待っていたのは男のガイドと二人の石材関係者でした。女の人を紹介されていたのだが。アモイが台風の影響で飛行機が飛ばないので1日遅れてくると言うことで武漢に宿泊することになりました。二人の石材関係者の内一人は女のガイド秦さんの友達のお兄さんで車での案内を頼まれたようです。ホテルで二人と話していると中国で庵治石によく似た石が取れるのは福建省と湖北省のふたつで私の抗口(丁場)でそれが取れるということです。あまりにも話しがうますぎてあっけにとられました。どちらにせよ明日にはわかることですが、非常にラッキーには違いありません。翌日、秦さんの到着を待って黄岡へ行きました。ここから山まで160キロあるので明日早朝に出発すると言うことで黄岡で泊まることになりました。翌日5人で山に向かって出発、途中に一つだけあった町で食事を取り一路山へ。山に近づくと未舗装で車の腹がすりそうで車から降りることもありました。そうこうしてどうにか丁場に到着しました。丁場は二口あり庵治と同じような形状でした。大ぐりを見て予想どうり庵治と同じだなぁと感じました。むしろこちらの方がキズが多いのではないかと思うくらいキズが多いです。丁場で見る限りでは明らかに斑の浮いた石目はありませんでした。どうにか斑かなぁと思うぐらいでそれも一部分だけでした。また、斑の有り方が庵治石とは逆で斑の部分が白いのです。まだ丁場も新しくもっと下に堀下がればいい石がありそうです。25人体制で月産20立方メートルでほぼ1社が独占で仕入れているそうです。今の段階ではこの石によって庵治石の市場が影響を受けることはなさそうです。帰り道で車のオイルが漏れてストッブ、携帯電話の電波が届いていなくてさあ大変、そこは中国、オートバイをつかまえて交渉、運転手さんを乗せてオイルを探しにいきました。黄岡に帰ってきて貨車への積み込み現場や2軒の加工工場を見学しました。これはと思う石が一基だけありました。                           2001.07.07

左側にある丁場 右端黒くなった部分の上に人がいる
右側にある丁場 ユンボ・ショベルがあった
右上の写真の左側部分
右上の写真の右側部分
写真ではわかりにくいがキズが何本もある
写真ではわかりにくいがキズが4本は確認できる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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